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東京地方裁判所 昭和33年(レ)592号 判決 1960年3月02日

控訴人 深沢栄助

右訴訟代理人弁護士 木屋政城

被控訴人 今浜初雄

右訴訟代理人弁護士 長井清水

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、昭和三一年六月一五日、被控訴人が本件家屋の一部を控訴人に賃料一ヶ月金一、〇〇〇円毎月六日払の約定で期間の定めなく賃貸したことは当事者間に争がない。原審における証人広瀬貞雄の証言及び成立に争のない甲第一号証の一によると、昭和三一年一一月頃、広瀬貞雄は被控訴人の代理人として控訴人に対して解約の申入をしたことが認められる。そこで右解約申入当時被控訴人が本件賃貸借契約を解約するにつき正当事由が存在したかどうかについて判断する。

二、原審における証人広瀬貞雄、同魚屋りて、同深沢つねの各証言、原審及び当審における被控訴本人、控訴本人各尋問の結果と成立に争のない乙第二号証によると次のような事実が認められる。すなわち、被控訴人は、戦時中伯父魚屋義男が被控訴人のために家主馬場勘太郎より賃借していた本件家屋を復員後の昭和二〇年一〇月頃魚屋より転借したが、その頃控訴人も馬場の口ききで魚屋より本件家屋の階上部分を転借し、その後間もなく被控訴人の不在中に控訴人が階下へ移転したので被控訴人の帰宅後一時紛糾を生じたが、その後は被控訴人が階上部分に居住するようになり、階上階下に分れての共同生活は以来今日に至つている。昭和二一年春頃、控訴人は馬場との間に本件家屋の一部について直接に賃貸借契約を結ぶにいたつたが、その後馬場は財産税納入のため本件家屋を物納し、昭和三一年五月二日、被控訴人は財務当局より払下を受けた園田勝二から本件家屋を買い受けてその所有権を取得した(被控訴人が本件家屋を買い受けたことについては当事者間に争がない。)ので、被控訴人は控訴人との間の賃貸借関係を明確にするためにあらためて乙第二号証の契約書を作成して本件賃貸借契約を結んだが、同年一一月頃、被控訴人の妹方に同居していた被控訴人の母りさが上京したため、後記認定のような状態でたださえ狭い部屋がますます狭くなり、やむを得ず広瀬貞雄を代理人として控訴人に解約を申し入れるにいたつた。以上が本件賃貸借契約が結ばれ、さらに被控訴人が解約の申入をするにいたるまでのいきさつとして認められるところであるが、右解約申入当時被控訴人は母親の外妻、息子四人(いずれも一〇代)、娘三人(一〇代一人、二〇代二人)の合計八人の家族をかかえ、被控訴人とも九人で本件家屋のうち二階四畳半と二畳との二間及び台所の一部を使用していたことは当事者間に争のないところである。

かような家族状況のもとにおいては母親の同居を考慮外としても、本件家屋のうち被控訴人の使用部分のみでは住居として甚だ狭きに失し、家族の寝食に必要な最少限度の空間にも不足するような状態であることが明らかである(当審における被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人夫妻は現に階下台所で就寝していることが認められる。)から、そもそも本件家屋の一部を他に賃貸すること自体が無理であつて賃貸借を結んだ当初からすでに将来紛糾を生ずる可能性を蔵していたものといわなければならない。ひるがえつて控訴人の側の事情について考察するに、原審及び当審における控訴本人尋問の結果によると、控訴人は本件家屋の一部に妻、娘四人、息子一人とともに合計七人で住み、ここで鋸目立業を営んで一ヶ月平均金二〇、〇〇〇円の収入を得ているが、右のような多人数の家族をかかえているので娘二人の勤務による若干の収入を合わせてもその生活は決して豊かとはいえず、またその職業柄顧客が殆んど固定しているので若し住居を移転するとなるとなれば顧客の一部を失うことによつて収入が減少するおそれがあるなどの理由もあつて容易にその住居を移転することができかねる状況にありこの状況は近い将来に解消するという見とおしもないまま、やむなく七人の家族にとつてはやはり甚だ狭きにすぎる本件家屋の一部における不自由な生活に耐えていることが認められるのであつて、若し本件家屋の一部を被控訴人に明け渡すとすれば控訴人としては相当大きな経済上の打撃を蒙ることが予想される。しかし終戦直後における極度の住宅不足が次第に緩和されてきた昭和三一年当時の社会情勢のもとでは、ある程度の出費は免れないとはいえ、控訴人がその生計維持の観点からして現在の住宅とさして条件の変らない移転先を見つけることは必ずしも不可能ないし至難とはいえず、また被控訴人が前記大家族をかかえながら自己所有の家屋の一部(二間)に甚だ窮屈な生活をしなければならないという事情は、住宅事情が最悪であつた数年前ならばあるいはやむを得ないこととされたかも知れないが、前述のように次第に住宅事情緩和化の兆が現われている昨今の情勢においても、同じ一棟の家屋のうち賃貸中の一部の返還を受けることによつて生活状況が大巾に改善されることが十分予想されるのにいぜんこれをやむを得ぬこととしてしりぞけることは許されなくなつたものといわなければならない。これを要するに本件賃貸借が結ばれるにいたつたいきさつが前記認定のとおりであつて、賃借人である控訴人が本件家屋の一部を明け渡すことによつて前述のような不利益を蒙るとしても、賃貸人である被控訴人に前述のような本件家屋の一部を自己において使用する強度の必要性が存在する以上、被控訴人が正当事由にあたるものとして主張するその他の事実の存否を判断するまでもなく被控訴人が昭和三一年一一月にした解約申入は正当事由を備えているものということができる。

三、しかして当審における被控訴本人並びに控訴本人尋問の結果によると、右解約申入から六ヶ月を経過した昭和三二年五月当時においても昭和三一年一一月当時において正当事由の基礎となつた前記被控訴人、控訴人双方の事情は殆んど変つていないことが認められるので、本件賃貸借契約は遅くとも昭和三二年五月三一日には解約申入後六ヶ月の経過により終了したものといわなければならない。

四、さらに控訴人が昭和三一年二月一日から同年五月三一日までの一ヶ月金一、〇〇〇円の割合による賃料を支払つたことについては何ら主張立証がないので控訴人は被控訴人に対してこれを支払う義務があるものというべく、また本件賃貸借契約の終了した昭和三二年六月一日以降控訴人は本件家屋の一部を被控訴人に返還することなく、引き続き占有(占有の事実については当事者間に争がない。)しており、これによつて被控訴人に右賃料相当額の損害を加えているものというべく、控訴人は被控訴人に対し本件家屋の一部を明け渡し、かつ右賃料及び損金を支払うべき義務があることは明らかである。

五、以上のとおりで被控訴人の本訴請求は理由があるからこれを認容すべく、原判決はこれと同趣旨であるから結局において正当であり、本件控訴は理由がないものとして棄却すべく、控訴費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 菅野啓蔵 小中信幸)

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